ミーハーで、ちょっとマジメな日記帳。

趣味が多いというか、トシを考えろよというか(苦笑)、オンガク、かぁいいオンナノコ、格闘技、linuxとまぁハヤリモノにすぐヒッカかりやすいワタクシの個人的な日記帳です。とりあえず、毎日何か書くのが目標。ネットが無い環境にいるときは後でまとめてUPしてます。


2010-07-22 [長年日記]

_ おしごと。

なんか、一気に疲れた。コンペの案件の見積りの回答が他社と大きく乖離があったらしい。こっちが過剰見積りなのか、あっちが過小見積りなのか。

そんなこんなでガックリしながらも、進行中の案件の交渉資料作成。あっという間に22:30.....

こんな調子で来週休んで大丈夫なのか!?という思いが増してくる。とはいえ、アトには引けないから(苦笑)

_ ずぶぬれ。

鶴見に着いたら雨。傘をさして歩いてたら徐々にどしゃ降りに。

家に着いたときにはずぶ濡れでした.......

_ 新プログラマ35歳定年説、あるいは2010年問題

http://www.arclamp.jp/blog/archives/age35.html

言ってることがよくわからんような。

いわゆる「プログラマ35歳定年説」は、いまから12-5年前に技術の中心がインターネットへと変化していった時、そこについていけないために引退したプログラマが35歳付近だったというだけなのです。

そもそもプログラマ35歳定年説って、おいらが就職したころ(20年前)からあったと思うのだけど。当時(高校生くらい)おいらの理解は「プログラム開発は頭を使うから、年をとるとプログラムを作れなくなる」という考えなのかと思ってた。とはいえ、うちのオヤジは当時40後半だったけど、プログラミングはしてたわけで(後から始めたオイラの方が成長は早かったけどw)。その時点でどうなの?って感じだった。少なくともインターネットがどうの、っていう話じゃない。

技術の進歩についていける、いけない、って話なら90年代中盤に一回目の波はあった。いわゆる「ダウンサイジング」とやらでUNIXが一気に拡大した時代。うちの会社でUNIX上の業務アプリ開発を先行してた部隊は明らかに主任以上がついていってなかった。で、若手が好き勝手にやってプロジェクトが失敗してたと言うオチ。なんだが若さとパワーで乗りきってたきがする(苦笑)。

そのとき思ったのは「技術の進歩でも不偏なモノがある」ということ。「シゴトとしてソフトウェア開発をするための手順とルール」ってやつ。IT業界で長くやってくにはそういうのが大切じゃないのかな?とその時に思った。もちろん新技術も大切だと思ってるけど。それについていってるかどうかが重要だとは思わない。

一方で、よっぽどその辺で定年になる(ついていけない)と思われるくらいの業界のままがよかったんではないだろうか? IT業界って特別な就職先でなくなってしまったことによる弊害が今の状況だと思う。「誰でも出来るわけではない」という業界でありつづければ、能力よりもアタマカズを揃えるシゴトではなく少数精鋭な業界でありつづけることができたんではないかなぁ、なんて思う。