ミーハーで、ちょっとマジメな日記帳。

趣味が多いというか、トシを考えろよというか(苦笑)、オンガク、かぁいいオンナノコ、格闘技、linuxとまぁハヤリモノにすぐヒッカかりやすいワタクシの個人的な日記帳です。とりあえず、毎日何か書くのが目標。ネットが無い環境にいるときは後でまとめてUPしてます。


2026-04-22 [長年日記]

_ 少しだけ酒が残ってる感じ。

5時くらいに目が覚めて。6時くらいまでは動けない感じ。

6時からお風呂に入って。サウナには入る気になれず。ゆったり湯船につかって、ちょっとすっきり。7時半前に出発。

_ 移動。

朝ごはんを悩みながら。昔行ってた蕎麦屋はまだオープン前。ラーメン屋はやってたけど、朝からラーメンはちょっと重いなぁとか思ってしまって。結局、吉野家。ご飯食べたら、なんでか元気になってきた。

横須賀線で鎌倉へ。思ってたより混んでた。学生が多かった感じ?

_ 鎌倉。

昼に東京に戻る程度のつもりの鎌倉散策。

鶴岡八幡宮。8時過ぎはさすがにまだ空いてる。なんなら、御朱印も8時半からで、少し待った感じ。博物館?ができた感じだけど、オープンが10時。んー。御朱印もらって移動。

鎌倉宮への移動。歩いていて、途中でバスが来た。思ったより終点まで近かったけど。

護良親王の最期の地。社の裏に幽閉されていた土牢が。親王、それも鎌倉幕府を倒す一番の功労がある人がこんなところで亡くなったとはね....。あと、リアルな親王の令旨があった。北条の弾劾から始まって決起の呼びかけの文章。これを観れたのはよかったかな。

荏柄天神社。予定になかったところ。鎌倉幕府の鬼門のところにあった神社。天神社の中では大宰府、京都と同じ古さらしい。高いところにあって鎌倉を見渡せた感じの場所。

ここから頼朝の墓を目指しながら、色々。大江広元、島津忠久、毛利季光の墓。なんで??と思ってたけど、文政期に作られた墓らしい。とはいえ、維新の50年前。この時点で薩長が同じ場所に先祖の墓を作っていた、というのが運命、か。あと、薩長はこの鎌倉開府時点から血筋がはっきりしてる家柄なんだよね。あと、島津重豪が源姓になってた。あ、そうなんだ?って感じ。

で、その下に義時の墓の後。よく義時の墓の上に作ったな?と思ったけど、江戸時代なら関係ない、か。

そこから源頼朝の墓。その下に白旗神社。

この辺りは丘陵地帯で。幕府は丘陵の間に作った感じで、その辺は攻撃されたときのことを考えてたのかな、なんて。

階段ばかりで疲れてしまったので、バスで鎌倉駅へ。博物館寄ってもよかったような。

_ 東京へ。

10時過ぎ。この時間だと、鎌倉に来た人が多い感じ。午前中で終わらすのがいいのかな、なんて。次回は大仏方面と八幡宮の博物館から建長寺とか。あと北条最後の地である東勝寺とか。まだまだ行きたいところはある。どちらかというと、歩けるか、なんだよな。

戸塚で止まったときに、肉屋に行くか迷ってしまった。躊躇して降りなかったけど、次回は買い物して帰ろう。

東京は東京で昼ごはんに迷ってしまって。結局、いつもの立ち食いソバ。もう少しバリエーション増やしたいところ。まぁグランスタでおにぎり買って、バスで食べてもよかったかな。

_ 鹿島へ。

12時20分のバス。13時30分過ぎに到着。今日は早かったな。24時間以内に車を出せた。この辺の時間調整が、ね。

買い物して帰宅。

_ へろへろ?

お風呂は栓を閉めないまま沸かすとか、ご飯食べたらそのまま寝ちゃうとか。