ミーハーで、ちょっとマジメな日記帳。
趣味が多いというか、トシを考えろよというか(苦笑)、オンガク、かぁいいオンナノコ、格闘技、linuxとまぁハヤリモノにすぐヒッカかりやすいワタクシの個人的な日記帳です。とりあえず、毎日何か書くのが目標。ネットが無い環境にいるときは後でまとめてUPしてます。
2014-10-19 [長年日記]
_ 朝。
昨日はお風呂も入らず着替えもせずそのまま寝ちゃってた。で、6時くらいに目が覚める。8時に動き出せばいい...と思ってたので7時くらいまではベッドでうだうだと。
お風呂はいって、マッサージやって、仙台駅へ。
8時40分の電車、と思ってたけど実は8時30分で駅に着いたのが8時29分というね(^^;)。電車がちょっと遅れてたようで助かったけど。
_ 女川。
仙台→小牛田→石巻→浦宿。浦宿から代行バスで女川。
なんだが....想像以上になにもないところなのね。バス停は丘の上。女川駅そのものは津波で流されちゃったっぽい。丘から降りたところはどこも造成中、という感じ。
まずはおかせいへ。大人数のお客が多くて、すぐには入れないかな?と思ったけど、1名なのが功を奏してすぐに入れた。特選女川丼大盛り。
まずは具の種類の豊富さ。エビ、かに、白身魚、まぐろ、貝類、いくら。何種類のってたかわからないくらい。普通海鮮丼はご飯があまるんだけど、今回は具が余る感じだった(ご飯大盛りで)。当然美味しいし、ボリュームもハンパないし、文句なしの一品でした。味噌汁もホタテgが入っててかに他からの出汁も濃くて美味しかった。この味噌汁とご飯だけでもいいよね、って、くらい。寿司とかも美味しそうだったからなぁ、また食べたいと思ったのでした。
で、女川の町自体は丘の上にあったところ以外は全部流されてしまってて、土地の造成をしてるところだった。医療センターみたいなところがあって、そこに行ったんだけど、そこに登る階段の手すりがなくて。?と思ってたけど、どうやら津波で流されたっぽい。それ以上にそこには「避難用階段」ってあって。元々津波の心配をしていた場所なんだな、と。で、結構な高さのところ(3F~4Fくらい)のところだったんだけど、そこの石碑にはさらに2mくらい上の場所にここまで津波が来た、と。だから大きな地震があったら有無をいわずに高台に逃げて、という石碑。この高さまできた津波に対して何か出来るんだろうか?と正直思ってしまった。防波堤なんて無力だし。ホントに進撃の巨人に出てくるような壁を作るしかない。でも、それは本質じゃないよね、とも思ってる。とはいえ、この石碑がこの先何百年も残って、未来の人への警鐘にになってくれれば、と思う。ちなみに女川さいがいFMはこの医療センターの一角のプレハブでした。ももクロの色紙が飾ってあるのが見えました。
ほかには交流館、というのがあって、復興の状況とか、女川の歴史とか。すくなくとも大正以降で大きな津波が2回あったのか。そういう意味では危険意識はあったのかな。今回はそれをはるかに乗り越えるものだったのだろうけど。来年の3月には女川駅まで列車がはしるっぽい。駅を中心に新たなコミュニティを作っていく、という構想。また人がたくさんくればいいね、と思う。
そんな感じで見るものも尽きたので、歩いて浦宿駅へ。ざっと30分。本当は高政いくつもりだったんけど、踏切が工事中で渡れないのだ(><)。かなり遠回りをすればわたれそうだったけど、それも面倒なのでやめ。
帰りは浦宿→石巻→矢本→松島海岸→あおば通、と仙石線コース。こっちもだいぶ復興が進んできた気がした。仙石線が早く全線復旧するといいね。
_ 仙台。
アンテナショップぽい所で魚を色々購入。普段あんまり魚を食べないからこういう食材は重要なのです。
あとはタワレコでAitherの買ってなかったシングルを購入。まぁ一応、ね。
そんなこんなで18時ちょいすぎのやまびこで帰宅中。